2008年5月12日 (月)

字幕が読めない若者の謎

「格差社会」と言われ、経済格差が教育格差としても現れることの問題が指摘されていますが、↓このような種類の格差は、経済格差以前の問題ですね。

 ▼「ナチスって何?」…字幕読めない若者増加に映画業界困った!

「映画業界では「若者の知的レベルがこれほど下がっているとは…」と驚いている。」
「字幕以前の問題も。ある映画会社の製作担当者は「スパイ系作品の試写会後『ソ連って何ですか?』、『ナチスって何ですか?』との感想が寄せられ、本当に驚いた」と打ち明ける。」

とのことですが、漢字が読めないとか、ふつうの中学生レベルの知識もほとんどない若者が増えているという問題が、こんなところにも影響を与えているんですねぇ。
映画に字幕を使うのが難しくなって、吹き替えにせざるを得なくなっているそうですが、スパイ系の試写会で「ソ連って何?」「ナチスって?」とは(´Д`;)。
映画制作にかかわる人たちは泣きたくなるでしょうね。しかし、大衆の中にある程度の知識格差があるのは仕方ないとして、映画業界がこれほど深刻に嘆かざるをえない状況になっているとは、驚きです。というか、いくら大衆相手といっても、そういう人たちに見てもらうことは想定外なのでは?

字幕より吹き替えがよい人には、DVDで見てほしいと思いますが、簡単な漢字が読めない人が増えているのが現実であれば、「字が読めないので、吹き替えにする」までは、仕方ないでしょう。
でも、「ソ連って何?」「ナチスって?」というのは、これはまさに仕方のない、どうしようもないことです。「映画の途中ですが、ここで、解説です」なんて、できるはずもありませんし、「ソ連って何?」という人は、放って置くしかないのです。知らなかったなら、そして知りたいと思ったなら、後で調べれて知ればよい。それだけの話です。

近い将来、こうしたことが経済格差・教育格差の具体的な問題の一つとなって現れてくるのかもしれませんが、現在の問題は、それ以前の問題です。「それ以前」とは、次元のことであり、また、30年ほど前にはすでに表面化していたという時間的な意味でもありますが、それは、いわば「意欲格差」です。そして、それから必然的につながる「知識格差」。
ただし、最近「意欲格差」という言葉を使う人たちの書いたものを読みますと、たいていが、経済格差や社会的不平等の結果だという論調です。わたしが感じている「意欲格差」は、もっと単純で、しかし大きな結果の差となる当然の理屈のことで、「知りたい」とも思わない人に知らせることはできない、ということです。「意欲」というより、「願い」と言った方がよいかもしれません。人に「願い」を起こさせることは、極めて困難、人間にはほとんど不可能事です。

まぁ、この字幕問題あるいは知識格差問題は、、映画業界にとっては、まさに「困った!」問題でしょう。しかし、キリスト者のわたしから見ますと、これは人の「願い」の問題であるがゆえに、「悩ましい」問題なのです。

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大相撲国際化の謎

昨日から大相撲夏場所が始まりましたが、幕内だけでも外国人が16人だとのことです。3人に1人ですか、これはすごいですね。単純に言えば、国際化ということになるかもしれませんが、大相撲は独特な世界ですから、外国人が増えたというだけでは大きな変化とも言えないでしょう。

国際化やグローバル化の問題は、昔から日本にとって大きな課題であり続けています。外から到来するものをどう受け止めるか、日本は「和魂洋才」という器用な態度でもってきました。しかし、やがてはこの「和魂洋才」自体が問われることにまで至るでしょう。
今日、もう「漢才」だの「洋才」だの、そんな「やりくり」は無用、無意味になりつつあります。すでに「才」は流動化、グローバル化しています。ただ、その切磋琢磨の中で日本なりのクリエイティビティを発揮する「和才」ということはあるでしょう。

しかし、問題は「和魂」です。「和魂とは何か」という問題もありますが、和魂で21世紀を生きようとする精神に、はたして妥当性はあるでしょうか。和魂は22世紀の夢を見るか?
日本人が世界の中に消えていくのでなく、世界の中で日本(人)が意味ある存在として文化と精神の形成に貢献していけるとすれば、「才」のみの変化でなく、これまでの和魂は、外からのものを受け入れて強めらた「新しい魂」となる必要があるではないでしょうか。

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2008年5月10日 (土)

携帯メール好きの謎

駅のホームや電車の中、路上やコーヒーショップ、公園やあちこちのベンチ、病院の待合室でもなんのその。今やありとあらゆる所で、老若男女がケータイでメールを打っています。街中どこでもいつでも、これほど大勢の人が同じ動作をしているのが見られるというのは、文字通り史上空前の様相でしょう。

まあそれでも、これほどまでの風景が見られるのは、日本くらいのようです。よく比べられるのは、日本とアメリカ。アメリカではまるで携帯メールが流行らないのはなぜかと、ネット上でも議論されたりしています。いろいろな理由があって面白いのですが、それでも、やはりもう一つ、しっくり来ません。

わたしが思うに、一番の理由は、日本人は「書かれたものを読む」のを好むからではないかと。そりゃあ、直接電話で話をした方が早いに決まっていますが、なにしろ、話をするとなると、「直接的な対面」となってしまいます。「わたしとあなた」の生きた人格的対面から逃げられない。
電話というのは、かかってきたら、「あとで読む(聞く)」というわけには行きませんので、時には迷惑なものです。「読む」ことなら、こちらの都合の良い時にすればよいことで、一人の行為になります。極端な話、その時、相手が生きているか死んでいるのさえ分かりませんし、「読む」ためには、それは問題になりません。
ところが、話されていることを「聞く」ということは、その場の生きた関係に引っ張り込まれることになります。いやでも生きた人間と対面させられるのです。どうも、なぜかわたしたち日本人は、そのような生きた人格関係に「私」が引っ張り出されるのが苦手なようです。

この問題と日本人の携帯メール好きとの関係が、実際大きいのかどうか、それは分かりません。しかしこれは、福音を告げ知らせようとするキリスト者にとっては、けっこう重大な問題だと思うのです。聖書は、語られなければならず、聞かれなければならない言葉だからです。

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2008年5月 5日 (月)

カブトムシ:早くも蛹化の準備か

コーヒーのビン(カブトムシの幼虫用)を見てみると、いつもとは違って、小さな穴のような空間が出て来ていました。なにやら小さな部屋のようでもあり、まさか蛹室? まだ5月初旬だというのに、蛹になるには早すぎると思うのですが、室内飼育の場合は5月までに蛹になることもある、とどこかで読んだ覚えもあります。

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よく見ると、穴の周囲は黒くなっており、濡れているようです。やはり蛹室を作っているということなのでしょうか。もしこれが蛹室だったら、このまま蛹から羽化するまでを観察することができそうです。乞御期待。

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2008年4月25日 (金)

書棚を蝕む空きビンの謎

わたしは毎日何杯もコーヒーを飲むので、専らお手軽なインスタントです。お手軽はよいのですが、知らないうちに(本当は知らないことはない)空きビンが貯まってきます。捨てればよいのは分かっていますし、もちろん捨てることもありますが、ラベルを剥がすとけっこう綺麗なので、洗った後、何となくその辺に置きっぱなしにしてしまうのです。

「その辺に」と言っても、置く所といえば牧師室の中。ところが、この牧師室、すでに飽和状態でありまして、ビンを置くスペースさえ無い状態(´Д`;)。それでどこへ置くかと言うと、本棚の縁に置いてしまうことになります。
気がついてみると、けっこうあちこちにあります。本を取ろうとするときに、危うく落としそうになることもしばしば。

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こんな感じで、

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あっちにも、こっちにも....

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こんな所にも、

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これは危ないだろ!

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もちろん、クリープのビンも

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これは何か違うだろ!

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これはぜんぜん違うし

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隠れてるし

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集めてみたら...
出て来ましたよ、14本! まだどこかにあるような。
こう並べて見ると、ますますもったいなくなって来ました。何か使い道でもないでしょうか? わが家では、このビンでカブトムシの幼虫2匹飼っていますが、今年の秋に幼虫のアパートにでもしましょうか。

* やはり、あとでクリープのビンを2本見つけました(うち1本は、上の写真で貨車(!)の積み荷となっていたのを忘れていた)。都合16本。こりゃ、やはり使い道なさそうですなあ。

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ひっそりと姿を消すフィルムカメラの謎

ついにフィルムカメラ市場終焉 CIPAが統計発表停止

カメラ映像機器工業会(CIPA)は、2008年4月に発表の2月分統計から、フィルムカメラの生産・出荷台数の統計の発表を停止した(空欄とした)とのこと。生産がゼロになったわけではありませんが、「集計値が一定数を下回った場合などに発表の対象としない」という内部規定にとうとう引っかかったということです。それにしても、前月の統計では、生産が1580台だけだったそうですから、ほとんど終わったと言えそうです。今後は、少数のマニアくらいしか手にすることはないのでしょう。

カメラの生産に関しては、わたしは小学校の時代の嫌な思い出が頭を過ぎります。小学4年生頃だったかと思いますが、社会科のテストで諏訪湖周辺の主な工業製品を問う問題が出ました。答えは「カメラ」なのですが、わたしはあえて漢字で「写真機」と書いたのです。
わたしが小学生の頃に住んでいたアパートの隣が小さなカメラ屋(写真屋さん)で、「写真機」のような漢字は、小さい頃から知っていましたし、漢字で書くとちょっと格好いい気がしたのです。ところが、テストの結果は「×」。
どうして×なのか、ちょっとプンプンしながら先生に尋ねてみると、なんと、「教科書には『カメラ』と書いてあるから」。もう、情けないというか、哀れというか、子供心ながら教師に対する小さな絶望感を抱いた最初の経験でした。

あれから30数年。時代も変わるはずです。わが家でも、前に使っていた一眼レフのフィルムカメラが壊れて以来、完全にデジタルに移行しました。今では、7メガ~1ギガピクセル程度のカメラで撮影して上質の光沢紙にプリントすれば、安物プリンタで印刷しても、フィルムからの印画よりもきれいにプリントできます。街の「写真屋さん」も、この流れに合わせた商売に移行しているのでしょうけれども、かなり厳しいのではないかと、余計な心配もしてしまう今日このごろ。

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2008年4月24日 (木)

汲めど尽きせぬ恵みの泉の謎

今日、「聖書を学ぶ会」では、ヨハネによる福音書の学びを終えました(「聖書を学び祈る会」ではヨハネの黙示録を継続中)。2007年度の1年間で読む予定でしたが、ちょっとだけ延長しました。
聖書を一書読んでいくときに、いつも難しく感じるのは、読み進めるペースです。聖書はまことに「汲めど尽きせぬ恵みの泉」。み言葉に深く沈潜して行こうとすれば、あまりにも深く、ゆっくり読もうとするとあまりにも長く、かといって、駆け足で走り抜けることもできないわけではありません。一語一語から味わうこともあれば、全体の構成を眺めて心打たれることもあります。なかなか思ったペースで進まないことが多いようです。
次回からは「ローマの信徒への手紙」。わたし自身、じっくり味わいながら養われたいと願っていて、いつまでに読み終えるかまだ予定も立てていないのですが、案外、み言葉自体がペースをも示してくれるものです。

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2008年4月18日 (金)

傘の骨の修理の謎

先日、「傘の骨の謎」で、最近、立て続けに2本の傘の骨を折ってしまったことを書きました。「謎」というのは、折れる場所が決まっているのになぜ改善をしないのか、ということです。

折れる場所も、なぜ折れるかも決まっていますので、修理の仕方も決まっています。それで、「そのうち東急ハンズにでも行ってみることに」と書いたのですが、ガラクタ箱をガサゴソとやっていたら、ありました、ありました。いつ買ったものなのか覚えていませんが、傘の骨を修理する部品が出てきました。ペンチでクリ、クリっとやってお終いです(作業時間30秒)。

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写真は安物傘の方

少し形状の違う3種類ほどのパーツがありますが、お決まりの場所に当てるだけです。これで、しばらくは保つのでしょうが、やはり「謎」です。なぜ、製造(デザイン、設計)の段階でアノお決まりの場所の形を変えないのか。やっぱり「わざと」ですか。

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2008年4月12日 (土)

「歩いて」って

教会で、「グレイス・キッズ」という英語で遊ぶ(でも、けっこう学ぶ)会が行われています。わたしの妻が一応指導しているのですが、夕食後、何気に質問されました。
「『歩いて学校へ行く』って言うとき、『歩いて』は英語でなんて言う?」
「えっ? "by walk"ぢゃないの?」 (・∀・;) *いきなりで焦る
「"on foot"だよん。子供たちはもう言えるよ」
「っ...へぇ~。けっこう、難しいなぁ」(´Д`;) *小学生以下かい

とほほ。

*その後、ネットで調べたら、"by walk"でもふつうに通じるそうです。でも、できるだけ正しい言葉を使いましょう(´Д`;)。

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2008年4月11日 (金)

爪と歯の謎

新しいシューズで歩き回ったからか、足の小指の爪が縦に割れて、剥がれかかってしまいました。わたしはこれまで、足の小指の爪は、左右それぞれ3回くらい剥がしているので慣れたもの。グラグラになった爪は出来る限り短く切った上で、ほったらかしにしておきます。靴下に引っかかったりすると痛いので、絆創膏で軽く保護するくらいにしておきます。すると、あ~ら不思議。取れかかった爪の下に、新しい爪がちゃんと生えてきます。
ところが、下から新しい爪が生えてきても、古い爪もそう簡単には取れません。かろうじてつながっているだけでも、それを抜くのはけっこう勇気が要ります。まるで、聖書の言う、「古い人」と「新しい人」のせめぎ合いのようです。

また、数日前には、奥歯のブリッジが外れてしまい、1本欠けた状態となってしまいました。わたしは若い頃から歯医者嫌いで、痛くなるまで放っておいたものですから、歯の数はとっくに高齢者並となっています(´Д`;)。歯も爪のように生え替わるものだったら、どれほど楽だろうかと思いますが、神様がこのようにお造りになられたのだから仕方ありません。人の寿命は、歯の耐久性ほどでよいということなのでしょう。

歯というのは、爪と似たところがあるようにも思えますが、再生することのない貴重さという点でいうと、目のようなものなのでしょう。聖書には、爪という言葉は、ほとんどと言ってよいくらい出て来ません。しかし、歯は何度も使われています。ご存じのように「目には目を、歯には歯を」という言葉があります。これは「同害報復」とも言われますが、際限のない復讐の連鎖を断ち切らせる戒めでもあります。目や歯が取り上げられるのは、命に並ぶほど大事なものだということでしょう。また旧約聖書には、奴隷の歯を1本折ったなら、その奴隷を自由にしてやらなければならい、という規定もあります。それほどに歯の1本に価値があったというのは、少々驚きでもあります。

今日では、インプラントという生来の歯と同じ感覚で使える義歯の技術も確立されています。今後は、歯も含め、人の体の再生技術も確立されていくかもしれません。しかし、地のちりに過ぎないわたしたち人間が生きるのは、神の息吹(霊)が吹き込まれたことによると聖書は語りますし、新しく生まれるのも、やはり主の霊を受けることです。わたしたちに本当に必要なことは、神の生命のインプラントなのです。

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2008年4月 9日 (水)

潮目が動いた?

「KY」と言えば、空気が読めないことを意味するのは、もうどなたもご存じ。しかし、さらに大事なことは、空気の「変化」を読むことではないでしょうか。釣りをするにも、潮目、潮時、潮回りを読むことが釣果を決定づけますが、社会情勢を見るにも、「潮目が動いた」と感じさせられることがあります。

チベット騒乱以降、ちょうど世界各地を巡る聖火リレーに強烈にその影響が現れていますが、どうもこの混乱は、中国を取り巻く世界情勢の潮目が変わったことを示しているのではないかと思われてなりません。これは、北京オリンピックまでの、一種のブームのようなものかもしれませんが、わたしは潮流の変化ではないかと感じています。

国際社会は「昨日の敵は今日の友」というえげつない社会ですから、何が起こっても不思議はありませんが、中国を巡る潮目が変わったとすると、我が国のKY代表とも言われる親中派の福田さんも、北京オリンピックぐらいが潮時というこになるのでしょうか。

それにしても、今年は各シーズンに1回の釣行を目標にしたのですが、やはり難しそうです。
今年の初釣行はいつになるやら(´Д`;)。

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2008年4月 8日 (火)

傘の骨の謎

更新を怠けているうちに、すでに新年度突入。今日は、春の嵐というか、突風にヤられました。

というわけで、最近、立て続けに2本の傘の骨を折ってしまいました。しかも、いずれも買った後に初めて使った日、それも、ほんの数十秒でやられてしまいました。たまたま風が強くて、突風が吹いたこともありますが、傘の骨の弱さは、かねがね不満に思っていました。

おそらく皆さんも、傘の骨って、もう少し強くならないものかと感じたことがあるでしょう。折れる部分は、決まっています。傘骨と受け骨をつなぐ部分です。折れる箇所が決まっているのですから、もう少し工夫してくれればよいのに、といつも思うのですが、一部の高級傘以外はなぜ改良されないのでしょうか。
コストの問題かとも思いました。しかし、あのジョイント部分の形状を僅かに変えるだけで、強度はかなりアップするはずです。なぜ、それをしないのか。改めて、その部分をしげしげと見つめてみました。

分かりました、分かりました。なぜ、工夫しないのか。実は、「わざと」折れやすい形にしているのです! 「まさか」と思う方は、よくご覧になってください。ジョイント部分には僅かながら補強材が入っています。様々な方向からの力が掛かりますから、これは当然です。しかしこれは、風の力を受けた時の補強にはなっていません。さらに折れにくくする形は、容易に想像ができます。ところが、あえてその形にせず、いかにも折れやすい形になっているのです。ふつうに差していれば問題ないのでしょうけれども、傘の上方向から少し強めの力が加わった時に、下に(内側に)折れやすいのは明らかです。

また謎ですが、なぜ、折れやすく作ってあるのか(少なくとも、全く工夫しない)。これは、いろいろ嫌らしい想像ができますが、実際にそうなっている以上、自分で対抗するしかなさそうです。自分で工夫、となるわけで、そのうち東急ハンズにでも行ってみることにしましょう。

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2008年3月17日 (月)

地の騒乱と神の意志

チベット騒乱について、詳細なことは報道されていませんが、死者は数百人に上ると伝えるメディアもあり、かなり大変な事態になっているようです。
これが北京オリンピックにも影響を与えることになるのかもしれませんが、今後の国際社会の動きの中では、やはり同様の民族問題を抱えるロシアの動きが鍵でしょう。

中国でのオリンピック開催については、わたしは大いに疑問を持っているのですが(環境の問題も含めて)、しかしボイコットはあり得ないと思っています。理由は単純で、先進主要国がすでにスポンサーとして巨大な資本を投入してしまっているからです。情けない話になりますが、そういうことです。

さて、時あたかもキリスト教では「受難週」。為政者の傲慢、自己保身、権力への追従、暴力、人の欲、ずるさ、醜さ、弱さ。そのただ中で、人間の思惑によって引き回されている神の御子。
「人間の混乱と神の摂理」とは、スイスの諺だそうですが、ここに神の意志が実現しているとは、ただ信仰の目によってしか見えない現実でしょう。

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2008年3月15日 (土)

「春の集い」 子供たちはすでに満開

土曜日、教会学校の「春の集い」を行いました。当地の最高気温は、なんと20度となり、完全に春モード。集会にもたくさんの子どもたちとお母さんたちが出席してくださって、共に礼拝を献げ、楽しい交わりの時を満喫しました。
子どもたちの元気に遊ぶ姿を見ながら、CS教師と親御さんたちとが交流をしました。一気にほろこび始めた桜を、一緒に眺めるような、「春の集い」らしい会でした。
ただ、写真を撮り忘れてしまうほど、呑気な土曜日でもありましたが(´Д`;)。

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2008年3月12日 (水)

いつの間にか、暖かな日々に

4月下旬の陽気となった昨日、海老名教会と合同のスプリングハイクのための下見に、寺田牧師と同行。良い陽気とはいえ、まだ3月。人出も少なく、下段や芝生などはシーズンに向けて養生、整備中でした。フィールドアスレチックを楽しむ人も無く、ただ、幼児向けの遊具や「ふれあい動物広場」に親子連れの姿がある程度で、とてものんび~りとした様子。
これが5月ともなれば、かなりの人出でごった返して、お弁当を広げる場所取りにも苦労するのだろうと想像しながら、公園内を見て回りました。

38mの展望台からの眺めも気持ちよいのですが、何となく霞んで、丹沢や箱根方面の山々はほどんど見えないほど。「これは何の霞だろうねぇ?」と聞くと、寺田師すかさずマスクの裏から「花粉」。良い陽気に何となしにウキウキしてくる人ばかりでなく、花粉症の人たちにとっては、すでに辛い季節が始まっているのです。

わが家では、あの「我慢大会」が続いて、結局、一度もヒーターを点けず、エアコンも無しで、もちろん灯油は一度も購入しませんでした。昨年度比で灯油だけで100L余り、約7,000円の節約となりしたが、一番の利益は、家族の誰も風邪をひかなかったことです。

少しばかり寒さを耐えた日もありましたが、それによって、わたしたちも少しばかり体が鍛えられたようです。わたしは例年、まずクリスマスの時期に決まって体調を崩していました。もちろん気が張っているので、何ともなく乗り越えていたのですが、年が明けて1月の半ばから2月は気がゆるむのか、いつも喉がやられたり、熱を出したりしていました。

ところが、ヒーターの使用をやめた今年は、風邪もひかす、熱も出さず、喉も壊さずに過ごしています。それは、子供たちも同じです。いつも、風邪をひいたり熱を出しては、子どもクリニックにお世話になっていましたが、ヒーターを使わない今年は、皆元気で過ごしています。

湘南地方では、氷点下にまで気温が下がることはほとんどありません。日当たりの具合如何では、ヒーター無しでも案外快適に過ごせると思うのですが、まずちょっとした挑戦、いかがでしょうか?

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