爪と歯の謎
新しいシューズで歩き回ったからか、足の小指の爪が縦に割れて、剥がれかかってしまいました。わたしはこれまで、足の小指の爪は、左右それぞれ3回くらい剥がしているので慣れたもの。グラグラになった爪は出来る限り短く切った上で、ほったらかしにしておきます。靴下に引っかかったりすると痛いので、絆創膏で軽く保護するくらいにしておきます。すると、あ~ら不思議。取れかかった爪の下に、新しい爪がちゃんと生えてきます。
ところが、下から新しい爪が生えてきても、古い爪もそう簡単には取れません。かろうじてつながっているだけでも、それを抜くのはけっこう勇気が要ります。まるで、聖書の言う、「古い人」と「新しい人」のせめぎ合いのようです。
また、数日前には、奥歯のブリッジが外れてしまい、1本欠けた状態となってしまいました。わたしは若い頃から歯医者嫌いで、痛くなるまで放っておいたものですから、歯の数はとっくに高齢者並となっています(´Д`;)。歯も爪のように生え替わるものだったら、どれほど楽だろうかと思いますが、神様がこのようにお造りになられたのだから仕方ありません。人の寿命は、歯の耐久性ほどでよいということなのでしょう。
歯というのは、爪と似たところがあるようにも思えますが、再生することのない貴重さという点でいうと、目のようなものなのでしょう。聖書には、爪という言葉は、ほとんどと言ってよいくらい出て来ません。しかし、歯は何度も使われています。ご存じのように「目には目を、歯には歯を」という言葉があります。これは「同害報復」とも言われますが、際限のない復讐の連鎖を断ち切らせる戒めでもあります。目や歯が取り上げられるのは、命に並ぶほど大事なものだということでしょう。また旧約聖書には、奴隷の歯を1本折ったなら、その奴隷を自由にしてやらなければならい、という規定もあります。それほどに歯の1本に価値があったというのは、少々驚きでもあります。
今日では、インプラントという生来の歯と同じ感覚で使える義歯の技術も確立されています。今後は、歯も含め、人の体の再生技術も確立されていくかもしれません。しかし、地のちりに過ぎないわたしたち人間が生きるのは、神の息吹(霊)が吹き込まれたことによると聖書は語りますし、新しく生まれるのも、やはり主の霊を受けることです。わたしたちに本当に必要なことは、神の生命のインプラントなのです。
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