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2009年3月の記事

2009年3月31日 (火)

いまは大革命の最中?

年度末、滑り込みで立て続けに。

インターネットの環境と伝道との関係について、それは「伝道の本質」と関係するということを、ある所でお話させていただいたので、ここに概略を記しておきたいと思います。

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わたしたちがインターネットを利用すべき理由は、ネット環境がインフラとしても整備され、便利になっているというだけでなくて、「伝道の本質」とのかかわりで、積極的に利用の可能性を考えるべきべきと言える理由があると思います。それは、まず「主イエスの伝道」と「使徒の伝道」の違いという点に遡ります。

主イエスの伝道は「神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」でありました。それと同時に、悪霊を追放し、病人の癒し、神の国の接近、神の恵みの支配の到来を示され、十二弟子たちを召して、神の民を回復しはじめられました。そして、その実現・成就として、主イエス自ら十字架にかかり、復活なさいました。こうして、主イエスのみ言葉と御業そのものが、神の国の福音そのものとなったのです。
ですから(これだけが理由ではありませんが)、主イエスは書いたものは残しておられません。主の口から出る言葉そのものが神のみ言葉であり、神の力であり、恵みであり、主イエスご自身が神のみ言葉そのものだったからです。したがって、伝道の拠点は、この主イエスご自身です。

主の昇天と聖霊降臨の後、使徒たちも伝道に遣わされましたが、使徒が伝える福音の内容には、主イエスご自身が入り、十字架と復活の主イエス・キリストそのものが福音の内容となり、使徒たちの伝道は、主イエス・キリストを宣べ伝えることになりました。聖霊によって使徒たちは派遣され、「地の果てまで」伝道する。そして、伝道は民族としてのイスラエルを超えて世界的、普遍的となる。ここに、伝道の業は、伝道の「手段」や「媒体」を持つことが不可欠となり、その時代に与えられているツールを用いることになります。
古代においては、パピルスに記され、記録・保存・伝達に用いられ「手紙」として生かされます。さらに広く伝道のためのインフラやツールを考えれば、陸上水上の「交通機関」、あるいは裁判や市民権などの「社会制度」も数えられるかも知れません。
宗教改革は、ご存じのように紙と活版印刷技術の飛躍的な向上と急速な普及がなければ、推進され得ませんでしたし、聖書の信仰に基づいて実現されていった市民的自由、社会的自由が、自由な伝道の基盤ともなったと言えるでしょう。

このように、伝道は単なる精神活動ではなく、文明・文化的活動と表裏一体であり、使徒たちをはじめ、代々の聖徒たちは、その時代のツールを伝道のために用いたのです。
大きな歴史の流れで見れば、パピルスと活版印刷とインターネットが三大情報革命であり、現代は、その大革命の最中にあると言えます。
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その時代のただ中にありますと、どういう時代なのか(だったのか)、見通すことは困難です。しかし、「大革命」の一つの時代だというのは確かではないでしょうか。そうであれば、これを最大限に用いない手はありません。知恵が与えられるよう、祈りたいと思います。

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通信環境の具合の方は

一方、ADSLの具合の方ですが、これは相変わらずダメ。メールの送受信さえスムーズに行かず、精神衛生上も極めてよろしくないので、私用にイー・モバイルを導入してしまいました。
回線の利用とは違って、データカードが送られてくれば即日利用可。私の入院中に届きました。

「下り最大7.2Mbps」とのうたい文句ですが、もちろん速度はベストエフォート。この周辺では、なかなか最大速度は出ません。忘れかけていたISDNの感覚ですが、そう動画を見るわけでもありませんし、モバイルの利便性を考慮にいれれば、必要十分といったところでしょうか。

と、思っていたところに、ちょうど某電話会社代理店から勧誘の電話。いつもは、正直、「ほんと、しつっこいなぁ」と思わされている迷惑電話ですが、「ADSLと変わらない料金でご提供させていただいておりまっす(ハート)」などという調子の良い言葉は聞き流しながら、今回は、「光への切り替えを検討中ですので」と応えてあげて、資料を送ってもらうことに...

さて、通信環境はどう変わる(変えられる)か。

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カラダもメンテを

3月に入り、年度末だからというわけではありませんが、何となく忙しいなあと思っていましたら、先週木曜日の午前の集会を終えた直後に、突然の腹痛。
1月の急性腸炎の再発かと、少々慌てました。座っていても、寝てみても我慢できなくなり、病院に駆け込み...
ついに入院(;´Д`)。
振り返ってみると、完全OFFの日が1日もなく、知らず知らず疲れが溜まっていたかも。

1月の急性腸炎のときは、何とか入院を免れたのですが、今回は痛みがきつく、痛む箇所も違い、医師が言うには「急性膵炎の疑いがあります。その場合は、治療しても3割が死にます」。
こりゃ困った。しかし強めの痛み止めをいれた点滴も効かず、病院から帰れる状態でもなく、そのまま入院ということになりまた。
幸い金曜日には痛みも消え、血液・尿、レントゲン、CT、エコー、胃カメラなどで検査をしましたが、「膵臓と肝臓が少し厚いですね、脂肪も付いていて」(脂肪肝かい(;´Д`))と言われただけでした。
結局、軽症の急性膵炎だったようです。

先週後半もけっこう集会がありましたが、教会の皆さんが奮闘してくださって、牧師抜きの楽しい集会(・∀・)が、盛況のうちに行われました。感謝。
私は、土曜日は外泊許可をいただいて、主日礼拝の説教の務めを果たすことができました。

医師たちも驚くほど回復が早く、昨日の血液検査も問題なく、無事(?)に退院。今日から完全復帰です。

ハードもソフトもメンテナンスが必要なように、カラダも同じだと、改めて認識させられた次第です。もう40代後半。手入れしながら、使っていかねば。

ちょうど年度替わりの多忙な時期。皆様もご自愛ください。

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2009年3月 6日 (金)

「おくりびと」のごとく? 心を込めつつ無駄が無く

ADSLの調子は相変わらずで、メール以外のネット利用は厳しいまま(;´Д`)。

さて、昨日あるセレモニーホールで行われた葬儀の司式をしました。わたしは故人ともご遺族とも面識がないまま、一昨日の納棺の際に初めてお会いするという珍しいケースで、少々戸惑いも覚えましたが、納棺の祈り、前夜の祈りから葬儀まで、振り返れば、気持ちのよい葬儀が行われたと思っています。

わたしはまだ観ていないのですが、あの「おくりびと」のアカデミー賞外国語映画賞の受賞によって、「納棺師」という職業に光が当てられ、葬祭業一般に関心が高まっています。映画「おくりびと」はぜひ見たいと思っていますが、セレモニーホールなどで接する葬祭業関係の方々の仕事ぶりには、いつも感心させられます。仕事に対するプロの誇りと自信を感じますし、何事にも丁寧でしかも手際良く、心を込めつつ無駄がないのです。

葬儀を終えて、一種の気持ちの良さを覚えるという感覚は、信仰的・神学的な意義という面から来るものもありますが、それを支える場を整える仕事の見事さ、というところにもあると思われます。心を込めるということと、手際の良さ・無駄の無さが矛盾無く一連の業として行われる。さすがプロの業、と感心させられます。
ただ、牧師の仕事は、なかなかこう綺麗には行きませんけどね。

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